もっと西と南を知りたくて

23年酷暑の夏を車でトロトロ

Day16(22-8-23)和歌山ー串本

朝7時出発。未だ行った事のない高野山へ。高野山にある寺は何だったかな~~と自問自答して、やっと「金剛峯寺」だと思い出した。

少し走ったところでガソリンスタンドへ。昨日和歌山に着いてからすぐ気づいたが、和歌山はガソリンの価格が安い。九州でも四国でも170円台を見つけるのは難しかったが、ここはいたるところで170円台。今見つけた所は現金164円。これは最近にしては破格値か! 

ただ、一昨日、昨日とちょぼちょぼ入れていたので、殆どガソリンが入らない。結局22Lだけしか入らなかった。残念。

高野山にどんどん上って行きます。標高820m程登って到着。気温24度。ちょっと涼しいが蒸し暑い。まず高野山の入り口の大門から。これが金剛峯寺への入り口。(注)門は真っすぐ立っています。いつものように私の右肩に地縛霊が。。。

1kmほど行くと中門。いよいよ境内に入る。

中門のすぐ後ろにあるのが「金堂」。年中行事の大半がここで行われるとの事。なぜか金剛峯寺の色々な建物は落落雷などで何回も焼けており、これも1932年再建。

その斜め後ろに、青い空の下赤く輝いているのは「根本大塔」。当初は「金堂」の後ろの東西に建てられる予定だったが残っているのはこれのみ。これも1932年再建。

そして唯一残っているのが(と言っても14世紀に再建)不動堂。これだけが国宝に指定されていた。古さは感じる。

さらに奥に進むといよいよ金剛峯寺が控えている。816年弘法大師空海真言宗の修行の場として開いたのがこの金剛峯寺

金剛峯寺

金剛峯寺の庭

お寺中に入って内部を一周するのだが、それぞれの広間の襖絵が見事。撮影禁止だったので、ネットでどうぞ。すばらしかった。近年千住博氏が襖絵を書いている。

https://www.koyasan.or.jp/

しかし、このHPを紹介してしまうと、私の写真と説明があまりにも稚拙で全く必要が無くなってしまう。が、よくよく考えてみました。通常、皆さんがこのサイトを見る事も金剛峯寺を深く知ることもなかったでしょう。このきっかけを創らせるために空海上人が私を金剛峯寺に送ったのかもしれない!

ふと思ったけど(良くいろいろ考える。。。)、高野山金剛峰寺、比叡山延暦寺と、山とお寺がセットで語らえる場合があるが、多分“日本三大お山+お寺”というのがあるはずと思い、「日本三大お山+お寺」を検索したら、アリマシタ。アリマシタ。「日本仏教三大霊山」というのがあり、もう一つは身延山久遠寺らしい。驚きです! なんと私はこの一ケ月で、この三つのすべてに行ったではないか!! 自分でも大いに驚いた! まるで、これは「大谷翔平が100年ぶりにベーブルースを抜いて歴代新記録を作った。」というのと同じようなものだ! 前人未到の記録! と感激した次第。まあ、この、すぐだれでも作れるけどね。

さて、ガソリン価格と高野山に感激した私は次にどこに向かうか? そう十津川村。日本一大きな村に人口3000人弱。東京23区や琵琶湖より広いらしい。どんなところか昔から興味があった。奈良県の最南端にあり、紀伊山地の山々に閉ざされている。家々は川にのぞむ山のわずかな土地にへばりついているという感じ。今は、長いトンネルが沢山出来て、外との往来もかなりできるようになったが、それでも高野山からの道は狭かった!

そこにあるのが「谷瀬の吊り橋」。昔は丸木橋をかけて渡っていたが洪水の度に流されるので、集落の住民が多大な負担して(今の価値で一戸当たり一千万円ほど)出来上がった吊り橋らしい。心して渡らねば。

そんな大洪水が起きた明治22年に、田畑を失くした住民(吊り橋の下の広い河原に沢山の人たちが住んでいた)が村を離れて、移住した先が北海道開拓の地、新十津川町だという。それは北を守らなければならない国策にも会っていた。涙が出てくる。

十津川村を後にして川沿いを移動していると、見事なダムの放水。風屋ダムだ。みごとです。

高野山十津川村と山に分け入ったら、次は海でしょう。ということで南紀白浜へ。パンダを見に行くのではなく、白浜ビーチとはどういう所か見たかった。まずまずの人出。

さて、今日も「岬めぐり」の旅は続きます。潮岬へ。本州最南端です。遠くに貨物船が何隻も見えました。

もう「岬めぐり」はイイヤ。飽きた!
最後に串本駅前の橋杭岩(はしぐいいわ)という奇岩が。1500万年前の火山活動で流紋岩が残ったものらしい(ブラタモリ風)。850m続いている。以上。

という事で、今日の宿に到着。

この時点では、ここのインターネットが遅くて使えなかったという事を主人公はまだ知らない!

走行距離:299㎞

走行ルート:

www.google.com