もっと西と南を知りたくて

23年酷暑の夏を車でトロトロ

Day14(20-8-23)土佐清水ー室戸

まずはお詫びと訂正から。

昨日、愛媛の港に着き”ここも佐多岬。鹿児島と混同する!”と力強く憤懣を撒き散らかしましたが、浅はかな未熟者の所作でした。鹿児島は「佐多岬(さたみさき)」愛媛は「佐田岬(さだみさき)」。案山子は「さだまさし」でした。お詫びして訂正いたします。

 

さて14日目の始まり、始まり~~。昨晩は疲れていて8時半過ぎに耳栓をして寝た(まだ時間が早かったので廊下から隣からガンガンお客の声が聞こえた)が、何故か2時頃に目が覚めてしまった。それから寝れない。ブログをアップロードして、やることないから早6時には宿を出る。

振り返ると、ホテルの隣の隣がすごい事になっていた。

兵どもの夢のあと。「むか~し、むかし。ここ足摺岬も観光客でにぎわっていたとさ。。。」廃墟ホテルマニアには垂涎の地か。こんな状況か生き残っている「ホテル南国」は恐るべし。

さて今日目指すは、「四国カルスト」。聞いたことありますか? ものすごく景色が良くて車で走るのに気持ちのいい道があるという事をどこかで聞いた覚えが。行くとしたら今回しかないと思いGo。

四万十川の河口近くは平穏な朝、

それから30分。典型的な四万十川中流の風景を見るのも二度目(4年前は自転車で下って行った)で、まだ何とかなった。

そこからが大変。車の離合が難しい道が2時間ほど続いた。「来るなよ~来るなよ~」とつぶやきながら、やっと近くの韮ケ峠(にらがとうげ)という所に着いた。全く予備知識はなかったが、ここは坂本龍馬土佐藩を脱藩したとき通った国境(くにざかい)らしい。

しかし、龍馬が動けばいろんなところが名所になるな~~! 土佐清水はジョン万次郎一色だったのが、高知に入ったら坂本龍馬一色。「昔に頼るな!今で勝負しろ!」と私は声を大にして言いたい! 知らんけど。。。

そこを過ぎて四国カルストの中心地ともいうべき、姫鶴平(めずるだいら)に到着。このあたりは高知と愛媛の県境です。

素晴らしい絶景。

ここの気温は午前十時で24度。キャンプしている人も沢山いる。私もここだったら喜んでキャンプをします。

そこから数キロが両方にカルストを従え、眼下に広がる高原。晴れてて良かった!

もう秋吉台が「カルストの聖地」だったのは過去の話です。今、「カルストの殿堂」はここ四国カルストです。おごれるものは久しからず。ただ風の前の塵に同じ。

四国に来たからには一度は「仁淀(によど)ブルー」を経験したいと思い、どこでそれが見れるのかCheck。

https://niyodoblue.jp/feature/detail.php?id=8

向かった先は中津渓谷。

「仁淀ブルー」とは「仁淀川が作るブルー」だと思っていたが、推薦している場所はすべて仁淀川に入ってくる支流の渓谷。仁淀川より水は新鮮だ。途中、空が曇っていたが、着いた頃は晴れて来た。これで夢にまで見た(見てないけど。。)、この「青」が見えるのかと期待!これはプロの写真。

私が撮るとこうなる。

んんんん~~違うな~~。百聞は一見に如かず。

渓谷沿いは涼しかったけれど、もう気温は33-4度。四国カルストの所より10度高い。

さて、この暑い中、どこに向かうか? 「日本三大がっかり名所」のはりまや橋でも行くか? ちなみに他の2つは札幌時計台と長崎オランダ坂らしい。誰が決めたんだよ~~誰が! 失礼な!

という事で「四国自動車博物館」に行ってみよう。ナビでちゃんと到着のお知らせが出ているのに周りには何もない!グーグルで再チェックすると、すぐそこにあるはずなんだけど。。あった!

倉庫? これだとわからない。まあ、入ってみよう。

周りがガラス張りになっていてとてつもなく広く見えるが、通路は一本。「鹿児島のA-Zはやと」の車売り場より全然狭い。

話を聞いてみると、運営しているのはトヨタの高知販売ディーラー「ネッツトヨタ南国」。車は四国や関西の個人オーナーから預かって展示しているとの事。すべて本物。評価額が数億円の物もあるとの事。まあオーナーにとってみれば、ちゃんと管理してくれて「見せびらかせ」れば、ここはいい保管場所か! 数年後は私の車もここに入るのかな~~。

ということで、今日の目的地室戸岬に到着。

岬めぐり」の旅は続いています。この灯台に到着するには、ものすごい坂を登ります。

灯台に続く坂道

灯台のはるか下の岬の先端は岩場ゴロゴロです。

ゴロゴロしながら、17時になっても30度を切らない気温で、今日もまた安易に旅館(ホテル)泊まりです。

家族経営のホテルです。「ホテル」と「旅館」の定義の違いはなんだろう? 私は「寝る方法」だと思っているんですが。。ベッド=ホテル、畳の上の蒲団=旅館。ここは正真正銘の旅館です。

さて今日も寝不足にもかかわらず眠くもならず運転してきた。「どうした?何で元気なんだ?」と自問自答していたら、「はた!」と気づいた。これだ。

昨日八幡浜で買った「愛媛産黒にんにく」。「黒にんにく」は気にはなっていたけど初めての経験。やはり初物は「霊験あらたか」に効いているんだろう! そうに違いない! 多分そうだろう! もしかしたらそうかもな~~。

走行距離:355km

走行ルート:

www.google.com

 

Day13(19-8-23)大分-土佐清水

昨晩はマアマア寝れたが、前期高齢者の朝は早い。4時起き。ブログをアップさせて、コーヒー飲んで、シャワーを浴びたら出発だ。6時発。朝一番のフェリーで四国に渡ります。佐賀関(このあたりは関サバで有名)の港に向かいながら、「始発のフェリー」という単語が頭に浮かび、昭和演歌調の最初のフレーズが即興でできた。「始発のフェリーで~~私は旅に出ます~~~♪ 別れた男の~~面影振り払い~~♪」。題して「女は一人四国に行くの」。始発のフェリーなのに車が多い!

佐賀関7時発。70分の船旅で対岸の三崎港へ。10100円。

佐賀関港出発 ーー 三崎港到着

で、驚いた事にこの海上ルートはフェリーでも国道扱い。国道197号線。フェリーの会社の名前も「国道九四フェリー」だった。

四国に上陸して尾根伝いの道(佐多岬メロデイーライン)を行く。佐多岬って、ここ愛媛県と鹿児島大隅半島の先にあるんだね、紛らわしい。ちょっと行くと仰々しい見晴らし台が。

ここは青色ダイオードノーベル賞物理学賞を受賞した中村修二さんが下の町で生まれ育った所らしい。

朝方でまだ海が青くないのが残念。

さてまたしばらく行くと、道の駅「瀬戸農業公園」という所から見た瀬戸側の写真がこれ。少し海が青くなってきた。

そこを出発すると、突然道路がメロディーをかなで始めた。「あ~~~だからメロディーラインと言うのか!」とここで納得。さてここで問題です。どんな曲をかなで始めたのか? 考えてみてください。答えはこれ。

https://www.youtube.com/watch?v=Ddp6ZMtll18

「~~~丘の道」までかなでていた。最初、スピードを上げていて車がちょっと左にずれて聞こえにくかったので、再度後戻りして既定の50㎞/hで走るとバッチリ聞こえた。何か得した気分だ。そして、今地図を見ていて気づいたけど、もうちょっと行った先の反対車線では「うみ」をかなでるらしい。試せば良かった!! 何か損した気分。

で、八幡浜港に到着。海からすぐ山になっていて、そこはすべてミカン畑だ。

だから、八幡浜港の郵便ポストもみかん色。

さてこれからどうする? 今日の最終目的地は足摺岬だけどまだ時間がある。ナビの地図で海沿いの岬を適当に指定して行く事にする。

なんかかなり移動したな~~と思っていたら、興味深い看板を見つけたので行って見ることにした。

あの「紫電改のタカ」の紫電改です。ここでまた戦争の歴史に出会うとは!二十歳前後の特攻隊員の話に触れる度に涙が出てきます。

この紫電改は海に沈んでいたものを昭和53年に発見し引き上げたものらしい。私が二十歳の時にそんな出来事があったとは。詳細は以下で。

沈んでいた海がこのあたりです。この紫電改展示室の高台から見れます。

で、さらに進むと「石垣の里 外泊」という看板が。あっ!! これはいつかテレビで見たことがある。山と海に挟まれた狭い空間に、石垣を積み上げ上の方まで家々が建っている!

ここは幕末に人口が増えてしまった隣の中泊という集落の指導者が、次男三男を対象に山を越えたこの場所を開墾を奨励してできた集落らしい。ここで出会うとは!

そしてやっと目指す岬に到着。海沿いの道が遠かった!高茂(こうも)岬といいます。

ここからの眺めは、日の光の具合で、まさに「息を飲む」絶景でした。世慣れしてしまった前期高齢者(経験を積んだ壮年の男とも言う)さえも、感動してしまった海がこちら。四連発のサービスです。

そして驚いたのが、この行程ルートをマイマップで作成している今です。この高茂岬は私が”行きたい”とナビで指定したつもりの場所と全く違っていたという事実を知ったのです。行こうと思ったのは、ずーっと北の岬(大崎鼻公園)でした。
しかし、間違えて行ったこの道で「紫電改」に涙を流し、「外泊」に出会い、そしてこの「高茂岬」で息を飲むことができたのです。ここで私は悟ってしまいました「これは人生と同じだ!!」と。「計画通り行かなくても、それはそれで人生は生きる価値があるもんだ!」と。。。。ちょっと違うかな。。。。「人間万事塞翁が馬」だと。これもちょっと違うかな。。。要検討。

さて行ったという証拠固めのため、途中の宿毛駅へ。日本中、首都圏を除いて全ての県庁所在地以外の街はシャッター街になっています。今更ですが。。。

足摺岬の手前に、「ジョン万次郎記念館」というのが在って寄ってみました。何か遺品があるわけではななく、お話中心の展示でした。ジョン万次郎はここ土佐清水で生まれました。

でやっとのことで足摺岬に到着。「足摺岬」という看板を撮らなかったので、ここがどこの風景なのかわからないのが難点ですが。。。確かに足摺岬です。高茂岬の絶景を見た後には、「あっ、そう!」という感じでした。

夕方5時なのにまだ30度越え! 「これでキャンプも車中泊もないだろう!」という心の声に押されて、今日は宿を用意。足摺岬の近くに用意した宿のはずだったけど、来た道を25㎞ほど戻ってしまった。これもまた人生~~♪と

この威風堂々、古色蒼然、昭和レトロとした立ち姿はどうでしょう!感動ものです。風呂・トイレ別ながら、エアコン付き、Wifi完備、素泊まりで五千円以下ならキャンプや車中泊をしている場合ではありません。「ポツンと私一人の宿泊客」かと思いきや、沢山の家族連れが来ていました。恐るべし「ホテル南国」。

走行距離:302㎞

走行ルート: 

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Day12(18-8-23)鹿児島ー大分

昨晩は夜中に、枕崎の浜辺から暗くて運転しにくい山道を鹿児島まで移動してきた割には寝られず、睡眠不足。今日の運転は注意しなければ!

まず鹿児島に来てどうしても行きたかった所を目指す。テレビでも何回も紹介されたからご存じの方も多いと思うけど、超巨大スーパー「A-Z」。鹿児島に3店舗あり、その中で一番大きい「A-Zはやと」。年中無休、24時間営業だ。清々しいほど巨大だ。これでも建物の半分。

内部を歩いてみたが、普通に歩いて3分半。全部開いているわけでないが(私が行ったときには2カ所だけ)キャッシャーは68カ所ある。

通常のスーパーだけでなく、レストラン、医薬品も売っている。家電製品も安物中国製だけでなく、ソニーのTVも置いてあるから一流の証拠だ。

前田さんが写っているのがソニーのテレビ

驚くのは中古車(殆どが新古車のようだった)販売にも力をいれており、車の数も半端ない。

仏壇まで売っているので、車を買って、そのまま仏壇を積んで帰れる。

鹿児島の田舎に3店もあり、かつ24時間営業。よく商売が続いているもんだ! だからマスコミの取材も多いらしい。これだけ広いと、買い物も体力勝負。少し調子が悪いと中を歩けない。

私も少々買い物して、次へ。次は皆が知っている?「坂元の黒酢”壺畑”情報館」である。ここの坂元さんが、江戸時代から続く製法の酢を「黒酢」と命名したらしい。この風景目にした事があるでしょう。

晴れていて向こうの桜島が見えれば、益々「鹿児島風」だったけどね。。。

さて先に進みます。都城です。都城と言えば、焼酎販売量日本一の「霧島酒造」でしょう。工場見学やっているようなので行ってみる。着いたのが11:40頃。次の会が13:30だった。ちゃんと計画して行動していれば効率良く回れるけど、行き当たりばったりでは非効率。私の人生と同じ。ネットから「霧島酒造」の写真だけ。

田舎を回っていると、地元の酒造会社は巨大な建物の場合が多い。昨日、暗くなっていたから撮れなかったけど、枕崎の「薩摩酒造」もすごい建物だった。「さつま白波」を造っている会社です。外観はお城だった。これもネットから。

さてネットでの現地訪問はこれくらいにして、さらに北の綾町へ。「あやまち」と読むのかと思ったら「あやちょう」らしい。「あやまち」では変換すると必ず「過ち」が先に出るのでマズかったのだろう。綾町は”「照葉樹林都市」をスローガンとする町おこしの成功例として知られ”ているらしいが、私は何も知らなかった。「照葉樹林」とは冬でも落葉しない広葉樹らしい。山の奥の方に、すばらしい吊り橋があるらしく行って見る。山間に雲がたなびいている。

綾の照葉大吊橋

高さ142m。長さ250mの少々揺れる吊り橋だ。下を眺めると中々高い。

この吊り橋は、来た道の上を通っており、そこからの眺めが印象的だった。

そこから、さらに北へ。見るべきところは沢山あるだろうけど、寝不足で途中の観光地に「行く気が薄れ」、ば~~~~~っと大分まで来てしまった。寝不足解消のために、今日もネットカフェへ。洗濯して21時前には寝た。

走行距離:326km

走行ルート:

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Day11(17-8-23)熊本美里ー枕崎ー鹿児島

まず訂正から。突然間違いを思い出しました。Day9の比喩。「瑠璃光寺五重塔」の改修用建造物を「マジンガーZの家」と表現しましたが、それは勘違いで本当はガンダムの家」でした。訂正してお詫びいたします。まあ、実にどうでもいい事ですけど。。。

さて1週間実家で暴飲暴食繰り返した後、昨晩の雨で涼しくなった朝650出発。まずはガソリンを入れなければ。最近の原油高、政府の補助金の先細り、円安でガソリン代もガンガン上がって来ています。その対策は抜かりない! 昨日ネットで熊本県かつ移動途中の安いガソリンスタンドを探しだしておきました。宇土市の木下石油。知らなかったけど、この木下グループ熊本県内の各地に安いスタンドを展開しているようだ。クレジットカードで1L=171円。

近くに木下石油のある方は使った方がいいですよ。さて向かうは天草。

途中、長部田海床路(ながべたかいしょうろ)という近年有名になっている場所があった。「日本一干満の差がある有明海に、干潮時だけ現れる道」です。こんな写真みたことあるでしょう。

私が撮るとこうなります。観光地なのでワンピース(作者が熊本出身)の登場人物のブロンズ像がありました。

2018年に天草に渡る最初の橋(一号橋)が追加されて新しくなったと聞いたので渡ってみました。天城橋(てんじょうきょう)といいます。天草諸島が五つの橋でつながったのが1966年。最近は疲れ気味か? ガンバレ天草!

天草は阿蘇ともに何かと行っていたので行き尽くし感があったけど、行った事のない場所を発見したのでイザ。天草諸島最高峰、倉岳神社です。そこからの眺めがプロの写真で見ると素晴らしい。

私が撮るとこうなります。今日は曇っていて下の海と浮かんだ小島の風景が良く見えなくて残念。

昨日のカンカン照りだったら良かったのに残念。頂上にはまままあの駐車スペースがあり、晴れたら行って見るべきところでしょう。

ナビで登って行ったら、かなり登ったところでオジサンが出て来て、「倉岳に行くの?これから先は藪になっていて殆どの車が引っ返しているよ」との事。下まで下って、別の所から登る道があると教えていただきました。感謝。

丁度昼時になったので、長年行きたいと思っていた田中畜産へ。いつか天草出身の小山薫堂氏が褒めていたので是非とも一度はと思っていた。

美味しくて安い!感動! - たなか畜産の口コミ - トリップアドバイザー

お盆明けで休みだった。まあ、あまり腹も減っておらず不幸中の幸い。

次は崎津教会だ。何年か前、「潜伏キリシタン」というカテゴリーで長崎の何カ所かと一緒に世界遺産に登録された場所だ。まず近くの高台にある神社から周りの景色を。

そして正面に回って。教会自体は1934年に建てられました。

中に入って雰囲気を確かめようと思ったら、「マスク着用」という事で、手持ちがなく入るのは諦めた。熊本県内で「潜伏キリシタン」関係で世界遺産に登録されたのはここだけ。あら。。色々他にも登録されたものだと思っていた。

ここからは牛深まで行ってフェリーに乗って長嶋の蔵之元港(鹿児島県)へ渡る予定で、フェリー乗り場まで直行。

牛深ハイヤ橋

10分後に出るという事で、慌てて乗船手続き。14時のこれを逃せば1520までなかった。3050円で30分の船の旅でした。

牛深港蔵之元港

さて鹿児島に入ってどこかを巡るアイデアはなかった。ひたすら南下。ただただ南下。枕崎の「火之神公園」というところに到着。大変きれいな所です。キャンプ場は無料。

遠くに開聞岳が見えました。

テントが気持ちよさそうだけど、夜中に雨が降りそうだったので、「ポツンと一台のみの駐車場」で車中泊。今日は最高で30度ほどだったので、夜は案外楽勝かもと思ったが、甘いね。甘い。甘い! じっとりと絡みつく湿気と最低でも27度の温度にはやはり参った。何度も寝返りうち、何度も汗を拭いたけど寝れない。7時に横になったのに、9時半過ぎてもグショグショ。あまりにも暑いので駐車場には誰もいないという口実を見つけてエンジンをかけて寝ることにする。だが寝れない。くそ~~~~!!!と思いながら、明日の朝移動する事にしていた鹿児島市のネットカフェへ移動。賢者は臨機応変なのです。

枕崎から鹿児島まで暗くて車の通らない山道を1時間半。23時過ぎに到着。そこには駐車場がなく、泣く泣く駐車場を探してチェックイン。今日はネットカフェでもあまり寝れなかったので、ブログのアップもこんなに早くなってしまった。

走行距離:413㎞

走行ルート:

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Day10(10-8-23)津和野ー熊本美里

昨晩は「津和野は山に囲まれていて風は吹かない!」と根拠ない確信で寝たものの、2時くらいには強風が叩く音で(木造の一軒家)でうるさかった。雨風落ち着いた7時半に山口に向けて出発。途中すごい大雨で、ワイパーも負けそうだった。山口のネットカフェに着く頃には小雨。風はまだ強い。

治まって来たので11時出発。台風の余波が心配だが、がーーっと高速で行けるところまで行くことにした!九州に入ると雨風ナシ。なんか拍子が外れた感じ。それなら、途中の太宰府天満宮に寄ることにした!

ここは、多分40年ぶり以上。ネームバリューのお陰で、防府天満宮とは違い台風一過の次の日にしては韓国、中国系の観光客多し。

「心字池にかかる~~♪ 三つの赤い橋は~~♪」を渡り、

本殿へ。ここでも核廃絶をお祈りしました。

やはりここに来たら「梅が枝餅」を食わないと年を越せないので、一個150円の梅が枝餅を食し、昼メシにしました。

もう雨風の心配はなくなった?ので、ここまで来たらゴールは近い。それだったら、行こうと思って今までかなわなかった「吉野ヶ里遺跡」へ。去年は登呂遺跡にも行った、何年か前は青森の三内丸山遺跡遺跡にも行った。これで縄文、弥生は制覇したと言っていいだろう!

吉野ヶ里遺跡」の最初の感想は、弥生は年寄に優しい!というものだった。大人の入場料460円に対し、前期高齢者になると200円。56%引き! まるでTVショッピングの値引き! 次に「風が強い!!!!雲も黒くどんより!!湿気も高く気持ち悪い」という瞬間風速的な感想もあった。 

それにしても広い、遺構・遺物も大きく沢山ある。弥生時代になると食料を守るためにムラが柵でおおわれ、高い見張り台が沢山ある。ムラ意識がここから生まれて来たんだろうな~~~。

ひときわ高い建物があった。遠くから見えたが、こんな高い建造物があるはずはない。これは現代の子供用アトラクションに違いないと思ったら、「主祭殿」を復元したものであった。

ここで指導者たちが話し合ったり、祖先の霊に祈りをささげる儀式を執り行ったりしたらしい。しかし、このような巨大な建造物を造れるとは弥生は侮れない。

二階の会議の風景と三階の宗教的儀式

やっと故郷美里町の緑川ダムに到着。台風のせいで水は茶色。私の家はすぐこの近く。めでたく帰って来れました。

走行距離:384㎞

走行ルート:

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という事で、「Mission Possible 前期高齢者の道楽」の前編終了。後編は17日から(公開は18日から)。お見逃しなく!

Day9(9-8-23)山口ー益田ー津和野

目が覚めたのが1:30am. 水分補給して再度寝ようと思ったら、隣がガタガタ、ガタガタうるさい。これがネットカフェの弱点。「うるさい」と怒鳴り込んで刺されでもしたら悲しいので我慢。その後やっと3:30くらいから二度寝ができた。起きたのが6時。

九州に台風6号が来ているので、今日は九州に近づかないことにした。8時40分発。この台風のように逆戻りして北東に進む。

その前に山口駅の隣、湯田温泉駅へ。ここは中学3年の修学旅行の宿泊場所。覚えているのは湯田温泉という名前だけ。駅前にはここの温泉を見つけたという白狐の8mの像。かわいい。

少し北東に進むと、国宝「瑠璃光寺五重塔」の標識。「国宝」なら見ておくだけでも見ておかなきゃ。修復中だったが、まるでマジンガーZの家?みたい。

そして、一度は行きたかった津和野へ。津和野の入り口のところに町を見下ろせる展望台が。津和野は完全に山に囲まれた町だった。

向こうの山に石垣のようなものが見える。Google Mapで見ると津和野城跡だ。見晴らしが良さそうだ。そりゃ行くでしょう。

麓からリフトに乗って頂上近くまで。

そこから歩いて15分ほどで本丸跡へ。ここからの眺めは素晴らしい。この山城は元寇の後に、それに備えて作られたのが起源らしい。

ここからの眺めにインスパイアされて、さだまさしが「案山子」を作ったらしい。汽車が通り、造り酒屋があります。納得。この歌は好きだった。

案山子 さだまさし - YouTube

津和野、小京都探索は後にして、向かうは日本海側益田へ。益田になにがあるのか? 良く知らないけど(4年前に自転車で通った事はある)、九州に行けないから時間つぶしです。地図を見ると、「雪舟の郷記念館」というのがあった。

「郷」という名前からして、少々不穏な感じだったが、ここには雪舟の作品は展示されていなかった。雪舟の後を継いだ雪舟の弟子たちの作品が展示してあり、雪舟はここで没したと言われており?墓があった。どうせ皆さんここには来ないだろうから折角なのでシェアしておきます。

益田はこれくらいにして、津和野に取って返しました。これも今朝地図を見て知った「安野光雅美術館」へ。津和野は彼の故郷で。安野光雅と言えば数多くの絵本やヨーロッパの風景を描いていたのは知っていたが、想像を上回る作家だった。

この美術館には彼の作品が四千点もあるとの事で彼のファンにとっては聖地でしょう。美術館の中には昔の学校の教室が復元されています。

今日の入りはそんなに多くはなかったけど。。。作品群はネットでご覧ください。

安野 光雅(著者詳細情報) | 絵本ナビ | 作品一覧・プロフィール

彼の業績紹介のビデオを一人でじっくりと見ていると、彼の作品の中で「平家物語」と「三国志」が驚くべき作品だというのを知りました。それぞれ6-7年の歳月をかけて書いた70~90枚の絵が描かれている本です。これはすばらしい!今日は「平家物語」を購入しました。大作「三国志」は日を改めて買う事にします。ちなみに「三国志」は1万円強です。

津和野の町を暑くて湿気の多い午後にちょっと歩いてみました。観光客はまばら。これでは岐阜の郡上八幡に負けてしまう。

去年の8月に建て替えられた津和野駅もきれいです。

ここは森鴎外の故郷でもあり、「案山子」もあるんだから、津和野はもっと頑張らねば! ガンバレ津和野! ガンバレW杯日本女子!

完全に山に囲まれた津和野は台風からの避難場所には最適でしょう。山沿いは大雨の時の山崩れを心配する必要があるけど、山の上の方だから津和野川の氾濫もないでしょうと、勝手な思い込み。 

今日は津和野に泊まろうと「旅行するなら~~♪楽天トラベル~~♪」で見つけた宿がすごい。一軒家の二階を丸々貸出し一泊3800円。昔オーナーが住んでいた家だとの事。この値段、キャンプ場とあまり変わらないじゃない! ネットカフェより安いが、残念ながらネット環境はなく、私の携帯Wifiルーターも圏外。

走行距離:149㎞

走行ルート:

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Day8(8-8-23)広島世羅ー山口

昨日は雨降ったり曇ったりして久々に30度は越えなかったが、夜中は相変わらず寝苦しかった。2時過ぎに目が覚めて、二度寝を試みたが寝れず。4時に静かに起きだして4時20分に福山のネットカフェに出発。

5時半には着いて、シャワーと洗濯をして今日、明日の行動を考えた。台風6号が九州に接近しているので、明日は中国地方も雨風が強いだろう。外に出れるとしたら今日まで。だったら、中学の修学旅行で行った秋吉台秋芳洞へ。

その辺りの地図を見ていたら、日本最初の天満宮という防府天満宮があった。せっかくだからそこへ。北野天満宮太宰府天満宮に比べて知名度が落ちるからか(私も知らなかった)、お客さんはまばら。

まだ右肩には地縛霊が乗っかっているらしく、右肩下がりの写真になってしまった。

菅原道真が京都から太宰府に左遷されたとき(901年)、本州の最後の寄港地がこの防府の港だった。その時、「帝のいる本土から離れたくないよ~~」と言っていたらしい。そして、道真が逝去した際(903年:太宰府には2年しかいなかったんだった!)この地に、光が差し込み瑞雲が現れたとの事。この地に御霊魂を鎮める社を造ったとの事。

境内からは静かにたたずむ防府の街が見えた。もう少し知名度が上がって参拝客が来てほしいものだ。

さて次ぎに向かうは、今から50年前!!半世紀前!!に行った思い出の地、秋吉台へ。昼からカンカンでりになって来た。今年の暑さからか、近年の人気のなさからなのか、秋吉台もかなり廃れた印象。観光客も少ない。「カルスト台地」と言ったら、小学・中学時代の社会ではヒーロー的な名称だったのに。。。

こんな岩の上で、請われて女の子たちと沢山写真を撮ったのに。。。まだ白黒だった。

暑い中(34-5度はあった)だったけど、せっかく思い出の地まで来たんだから一回りしようと30分ほど歩き回った。周りは緑の草原の石灰岩のみ。殆ど歩いている人はいない。

草原が輝いている。草原は酷暑に強いな~~~ 丁度中学3年頃にはやっていたな~~。

https://www.youtube.com/watch?v=xPzmcg-qGxM

この歌を歌いながら歩くと、前期高齢者の魂は昇華していつの間にか15歳の自分に戻っていました。そういえば「好きよキャプテン」という唄もあったな~~。私も「剣道部のキャプテン」でした。

と頭が熱中症にかかる寸前だったので、秋芳洞に移動。順番を間違えてはいけません。まず秋吉台。次に秋芳洞です。気持ち良さが違います。チョコレートケーキの後に、スイカを食べてはいけません。

何か秋芳洞もちょっとな~~~。老衰という言葉が浮かびました。どこの観光地も似たり寄ったりだけど、ここは日本一の鍾乳洞のはず。もっとガンバレ! インバウンドの人たち頼みか。。

だけど、やはり鍾乳洞の入口はちょっとしたもんだった。

中は広くて涼しかった(17度)が、もう少し光の演出とかして、楽しませた方がいいんじゃないでしょうか? 中の鍾乳洞はあまりアップダウンがなく、石筍、石柱も沢山育っており、年寄にはいいんじゃないでしょうか。

台風接近のため、今日明日の予定が大きく狂ってしまった。今日明日のキャンプ・車中泊は中止。明日の行き先も未定です。今のところ晴れてます。

走行距離:297km

走行ルート:

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